【とんがり帽子】

とんがり帽子:昭和22年(1947年)作詞:菊田一夫(C)(曲リスト)      作曲:古関裕而(C)      歌唱:美空ひばり   この古関裕而の明るい曲は、明るければ明るいほど、同年輩の子供として胸が痛んだものです。今の人たちは、この歌が戦災孤児のことを歌ったものだということは、説明しなければ分からないでしょうし、戦災孤児の悲惨さも、<チャリンコ>が自転車のことだと思っている人たちには分からないでしょう。日本の沢山の都市が悲惨な空襲を受けましたが、昭和20年3月10日の東京大空襲は、沢山の戦災孤児を生み、沢山の<チャリンコ>を生みました。<チャリンコ(子)>とは、両親を戦災で無くし、寄る辺も無く生きるすべをなくした多くの少年少女が、土管の中や橋の下で暮らし、生きていくために、こそ泥、置き引き、スリとなって、そのうちで電車のなかでスリを働く少年のことを<チャリンコ>と呼んだのです。イラクなどで絶望的な目をした少年少女の姿が重なります。野坂昭如の<火垂の墓>の主人公たちは、悪事を働くことが出来ないゆえに、死んでしまうのです. 終戦後も混乱の中で、しばらく浮浪児やチャリンコなど随所にいましたが、進駐軍の進駐の広がりとともに、こうした戦災孤児の養護施設が増えてゆきました。この「鐘の鳴る丘」は3回ほど映画化されましたが、そのモデルは信州安曇野にあった<有明高原寮>だそうです(二木絋三氏)。菊田一夫は、悲惨な苦しみを乗り越えて、明日への希望を繋ぎつつ明るく生きていこうとしている少年の心を、巧みに描きました。